飲食マンを通じて転職者を募集している飲食店の“社長”へのインタビュー OWNER’S INTERVIEW

田中の味をブレることなく、お客様に届ける。
日本はもちろん、世界に。

株式会社ノート代表取締役 貫 啓二

貫 啓二

高校卒業後トヨタに入社。27歳で退職しショットバーを開業。その後、デザイナーズレストラン、東京に進出しての京懐石レストランをオープンし超人気店に…。ところが東京・大阪の店舗管理で苦境に立たされ業績が悪化。それと同タイミングでリーマンショックとダブルパンチ。その後、現副社長の田中がずっとやろうと言っていた串カツ業態に切り替え「串カツ田中」が誕生。爆発的ヒットに加え、2014年には外食アワードも受賞。現在は78店舗(直営・FC含/2015年6月現在)まで成長し、100、200店舗、海外展開を目指す。

なぜ、飲食店をはじめようと…

なぜ、飲食店をはじめようと…

高校卒業してからはトヨタに入社しました。仕事に没頭する日々が続く半面、休日はパーティーやスノボツアーを企画し、みんなでワイワイやってました。自分も楽しく、それでいてお金にもなるから、こういう仕事もいいなぁと、“起業”することをなんとなく思い始めました。

就職して何の不満もなかったんですが、ある日、自分の人生を振り返った時「このままでは何も変わらへん」と思ったんです。そこで、イベント企画のような、リアルに人と接する仕事は何だろうと考えていると思いついたのが、“飲食”だったんです。

そして10年勤めた会社を退職し、600万円の借金をしてショットバーをはじめることになりました。この時、アルバイトをしてくれていたのが現副社長の田中洋江で、ここから二人三脚がはじまったんです。今から17年前のことです…。

その後は順調でしたか?

念願のバーを心斎橋にオープンしたのは良いんですが、今まで飲食店で働いたこともないし、マネジメントも解らないド素人の状況からのスタート。大変でしたけど楽しかったです。そこから接客業にハマり、のちに大阪・堀江エリアにデザイナーズレストランを開業しました。その後余勢を駆って東京へ進出し、青山に高級京懐石店をオープンし、「東京カレンダー」に掲載されるや否や超有名店になっていきました。

大変だったことは…?

一気に有名店になった反面、東京と大阪の距離が遠く感じるようになりました。
なかなか私と田中のふたりでは目が行き届かなくなり、またスタッフの離職も多く、「あの人にはついていけません!」みたいな…、人にはかなり苦労しました。そして、リーマンショックがこのタイミングできて、「これはもうアウトだな!すべて清算しよう」と思った時期でもありました。

ドン底からのターニングポイントは…?

副社長がこのタイミングで、ずっとやろうと言っていた串カツ業態に切り替えました。副社長の実家には串カツの秘蔵レシピがあり、大阪の下町の文化を東京に…。起死回生の賭けに出ました。そして1号店目より超ヒットを飛ばし、現在に至ります。

御社のウリ・こだわりは…

御社のウリ・こだわりは…

こだわりは、やはり田中の味をブレることなく、お客様に届ける。日本はもちろん、世界に…これに尽きますね。絶妙なバランスで計算された衣・油・ソースの3つは企業秘密です。社員やスタッフもレシピを知らないほど、オリジナルを大切にしています。

また、未経験者でも問題なく活躍できる環境ですかね。
スタッフこそが「串カツ田中」のファンになってもらうことが一番大切で、自分の働くお店についてたくさん考えてくれる串カツ田中の「プロ」が多いのも特徴のひとつです。

今後の成長プランも含めて会社のビジョンは…?

直営・FC店舗に関係なく、すべて「串カツ田中」に関わる人たちのブランドです。今以上にお客様から必要とされる存在に成長することやひとりでも多くに人たちに串カツを食べてもらい喜んでもらうよう、一種の社会貢献に役立たせていきます。

そして、社会貢献することで、利益が生まれ、その利益を社員たちにも還元できます。飲食業界は休みが少なく、給料も少ないイメージですが、弊社は週休二日を導入し、しっかりと仕事してしっかり休む、みんなの働き甲斐のある会社であり続けたいですね。

また100、200店舗と増やし、そこで働くスタッフすべてに働きやすく長く働きたいと思ってもらえる企業を目指します。

COMPANY INFORMATION

会社名
株式会社ノート
店舗名
「串カツ田中」
業態
串カツ
エリア
東京・神奈川・埼玉・千葉・大阪・愛知・北海道・沖縄など
企業URL
http://note-co.com/

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